夢はサッカー選手「漫画を仕事にしたいとは思っていなかった」
- ― どんな「13歳」でしたか?
- 安田 東京都八王子市の中学に通っていて、部活はサッカー部でした。めちゃくちゃ不良のいる学校で、その中の中枢の悪い奴らがサッカー部にいるみたいな感じで(笑い)。ちょうどJリーグが開幕した年で、世間的には明るい時期でしたが、部活は縦社会で先輩が怖くて、僕自身は暗黒の時代だったような気がします。1年生の頃は、ボールにもあまり触れられず、声出しが主な仕事で、先輩のシュートがどんなに外れていても「ナイッシュー(ナイスシュート)!」と言わされてましたね(笑い)。
ある時、部活の仲間に体育倉庫に呼ばれたんです。何だろうと思っていくと、リーゼントの先輩がたくさん待ち構えていて、マットの上でプロレス技をかけられました。痛いし嫌だったのに、なぜか帰るときに「ありがとうございました!」って口にしていて。何が「ありがとう」なのかな? とよくわからなかったですね(笑い)。 - ― 部活が嫌になったりはしなかったのですか?
- 安田 1年生同士は仲が良くて連帯感があったので、先輩は怖いけれど総じて面白かったです。みんな友達はサッカーをしていました。先輩が怖かったり、サッカーがなかなかうまくならなかったり……くらいの悩みはあったかもしれないけれど、それも取るに足らないこと。漠然とサッカー選手になりたいって考えていて、基本的には楽しかったのかなと思います。性格的には、すごく陽キャだったわけでもなく、ものすごくしゃべらないというわけでもなく。常に写真の端っこにいるタイプでした。
- ― 当時、好きな漫画はありましたか?
- 安田 ちょうど中1くらいの時に、「金田一少年の事件簿」が好きになって。コンビニで週刊少年マガジンを買って帰っていました。週刊少年ジャンプも読んでいましたが、マガジンにはジャンプに載っていないような、ちょっと大人な作品もあったので楽しく読んでいました。でも、このときは、漫画を仕事にしたいとは全然思っていなかったです。
- ― 漫画を描きたいという思いが芽生えたのはいつ頃だったのでしょうか。
- 安田 これは明確に覚えています。20歳の時です。高校生の時にサッカー選手になるのは無理だなと気付いて、他にやりたいことを考えた時に、教職を取りたくて大学に進学しました。ただ、大学一年生のときに単位の取得制限で学科が取れず、めちゃくちゃ暇で…(笑い)。主に漫画を読んで過ごしていて、授業中も「モーニング」を読んでいたんです。そこで、「バカボンド」「ブラックジャックによろしく」「島耕作」など、少年誌にはない、渋くて面白い漫画にたくさん出会うことができたんですよね。そうやっていろんな作品を読んでいるうちに、漫画家を目指そうと思い、講談社へ原稿を持っていきました。しかも、なぜか「モーニング」ではなく、少年誌の「マガジン」でした(笑い)
- ― 当時、どんな行動をされたのでしょうか?
- 安田 とりあえず20ページの原稿を描いて出版社に持っていけばいいかなと思って、画用紙にボールペンで書いて持っていきました。(編集部の人は)たぶん「変なやつが来たな」と思ったと思います。あとで話を聞くと、会社に持ち込むってかなりハードルが高いらしいんです。でも知識がなくて、全く怖くなかった。何もわからず持って行ったのが大きかったのかなと思います。
そこで担当がついて、色々アドバイスを貰って、また原稿を持ちこんで…という感じの生活が始まりました。その時に考えていたのは、自分の作品が面白いか、面白くないかはわからないけれど、毎週何かしらの作品を書き終えないことには始まらないと思っていました。毎週、原稿を20ページ分を持っていけば、スピードとしては週刊少年漫画と同じことをしているわけじゃないですか。あとは精度を上げていけば、漫画家になれるんじゃないかなと。これは、少なくとも週刊連載をやる上では最低ラインだとなんとなく思っていました。 - ― 「13歳の頃の自分」が「今の自分」を見たら、どんな風に思うと思いますか?
- 安田 なんとなくですが、あまり喜ばなさそうな気がします。基本的にはサッカー選手を目指していたので、「いや、サッカー選手じゃないのかよ!」って。当時、美術の成績も4ぐらいで、絵を描けばまあうまいよね、ぐらいで。基本的にはめちゃくちゃ不器用で、ものを作るというのが苦手だったんです。漫画家になろうとはちっとも思っていなかったですから。
- ― 今、新しい一歩を踏み出そうとしている“13歳たち”にメッセージを送るとするなら?
- 安田 13歳って、色々な扉が開いていく時だと思うんです。人間関係も、社会的なことに関しても、目の前に扉がいっぱい出てくるイメージで。将来やりたいことやなりたいこと、夢がある人はそのままやればいいし、頑張ればいい。挑戦してたくさん失敗すればいいのかなと思います。
でもたぶん、自分が本当に何に興味があるのか、何が向いているのか、何がしたいのかわからない子の方が多いんじゃないかなと思っていて。その不安や焦りは、実はあまりいらないような気がしていて。僕が20歳で漫画を描きはじめたというのもあって、現状やりたいことやなりたいこと、夢や希望がなくても大丈夫、いつからでもやれると思っています。焦る必要はないんじゃないかと思います。

『こういう声なんだ』と気づかされて、驚かされて、勉強になることが多い」
- ― 「青のミブロ」について。
- 安田 僕は東京都日野市の出身で、わりと身近に「新選組」があったので、題材として選ぶことは自然な流れでした。ただ、描いてみると歴史漫画はかなり難しいと感じています。というのも、以前描いていた「DAYS」は、高校サッカーが題材だったので、必然的に試合があって、大会があって、練習して……という縦軸がありますが、ミブロは、戦う理由がないとホイッスルが鳴らないので難しいです。池田屋事件や芹沢鴨暗殺事件など、そういう中継点のようなものはあるんですが、キャラの感情をそこまで持って行くのに苦労しますね。一方で連載初期はどちらかというと、ミブロが炊き出しをしたり洗濯したりする生活の方に興味がありました。新選組の派手なことよりも、生活の方を描きたいなと思っていた気がします。
- ― アニメについて。
- 安田 「青のミブロ」のアニメ、いいですね。この前、見ていて思いました。たとえば、頭の中では夕方のシーンをイメージしていても、漫画ではなかなか表現できていないんですよ。でも、映像で見ると、オレンジがかったり、青がかかったりしているのがいいなと思って。補完してくれているというか、アニメは理想の絵柄、色などになっていて嬉しかったです。
また、近藤勇役の杉田智和さんがお話していた近藤評が、たぶん僕よりも理解度が高くてすごいなと思います。一人のキャラに向き合っている役者さんたちに、声や芝居を入れてもらうと、「なるほど、こういう声なんだ」と気付かされて、驚かされて、勉強になることが多いです。そうやって声を入れてもらったり、色が付いたり、物語として時間を流してくださるのがすごいなと思っています。ただただ感謝しかないです。