メンバーが夢中になったもの 音楽との出会いは?
- ― どんな「13歳」でしたか?
- 山口ケンタ(Gt,Vo) 野球少年だったので、真っ黒なイガグリ(笑)。朝から晩までずっと外にいて、走りまわって泥だらけになって……という時期でした。父が元々、野球をやっていて少年野球の監督だったんです。そこで僕もそのチームでプレーするとなったら、色々なプレッシャーもあるし、ちゃんとやらないとな、みたいな感じですごく息苦しさも感じていた時期ですね。野球に熱中していたのと同時に、監督やコーチのモノマネをして笑いをとったり、慰安会ではカラオケでずっと歌っていたり、人前に出るのが好きかも知れない、という意識を持ったのがちょうどそのときでした。当時はCHEMISTRYさんや、ORANGE RANGEさんを歌っていましたね。試合には出られないけれど、誰よりも笑いはとっていました!……悲しいです(笑)。自室にアコースティックギターがあったんですけど、弾くことはほとんどしていなくて。14歳ぐらいに部活を引退すると決まってから、一生懸命ギターを練習し始めました。
- 金廣洸輝(Gt,Cho) 今と比べてだいぶ明るかったと思います(笑)。小学校3年生ぐらいからずっとバスケをやっていて、中学でもバスケ部に入りました。結構バスケが強い中学校で、相当スパルタでした。スポーツをやっていたというのもあって明るくて、クラスの出し物に率先して出て行くタイプでした。高校時代になって、ニコニコ動画などでアニメやゲームにどっぷりつかるようになって。そこからなだらかにどんどん暗くなっていった感じです(笑)。
- ヒロクサマ(Ba,Cho) 小学校2年生~中学校3年生までサッカーをやっていました。13歳のときには、元々サイドハーフだったけど、サイドバッグの人が足りないということでコンバード(ポジション変更)されて、サイドバッグをやり始めた時期でした。人が足りない分、3年生の試合に出させられていました。今でも忘れないんですけど、中1の7月くらいに、小学校から上がったばかりの自分が3年生の試合に出て。最初のマッチアップのときに、相手の3年生に吹き飛ばされて、左腕を骨折してしまって……。その夏、初めての家族旅行で沖縄に行くことが決まっていたけれど、1ミリも海に入れず、というのが一番濃い思い出です。
ロックという音楽に出会ったのはその頃で。14歳ぐらいでベースを始めました。一番最初に買ってもらったのはギターでしたが、始めた瞬間、細かすぎて向いていないなと思って。「ごめん、ベースも買ってもらえませんか?」とお母さんにお願いして、買ってもらって。そこから続いている感じです。ちょうどYouTubeが浸透してきた時期で、それを見ながら練習していました。 - 田中優希(Dr) とんでもない肥満児でした(笑)。ぽちゃぽちゃに太っていて、運動もそんなに好きじゃなかったです。教室のすみっこにいる、地味な気難しいオタクみたいな感じでした(笑)
ちょうど13歳のときに音楽に関心を持ちました。それまで水泳や剣道など、色々と親にやらせてもらったのですが、全部2~3年でやめちゃう感じだったんです。中学に入る直前、父親に急にB'zさんのコンサートに連れていってもらって、コンサートに行ったのもそのときが初めてでした。その時、サポートで入られていたカナダ人のドラムの方がいらっしゃって、大きな会場で一番ズドンと来たのがドラムのビートで、それに感動して。その人を見て「ドラムっていう楽器、めっちゃかっこいいな!」と思って、中学に入ったら、ドラムがたたける部活に入ろうと思って吹奏楽部に入りました。俺はB’zのバックバンドになる!と思ってましたね(笑)
吹奏楽部では、2年ぐらいドラムをたたかせてもらえず。人数が少ない部活で、低音を担う楽器の人が少ないからという理由で、いきなりエレキベースをさせられました。先輩が引退したタイミングで、やっと自分にドラムの席がまわってきました。部活でドラムができなかったので、親に頭を下げて電子ドラムセットを買ってもらって。部活がない日は、それをひたすら叩いている感じでした。 - ― “今の自分”について、“13歳の頃の自分”はどんな風に思うと思いますか?
- 山口 びっくりすると思います。たぶんずっと野球をやるとは思っていました。こういう形で、自分で曲を作って、それをメンバーで演奏して……というのは、チームプレーでもあります。ステージに上がるガッツみたいなものを常に持っていないといけないですし、そういう意味では、ハングリー精神などは野球と共通している部分はあるのかなと思います。
- 金廣 当時は、あんまり音楽を知らなかったので、めっちゃびっくりすると思います。本当に俺なのか?と。当時の僕は、性格的にはそんなに暗くなったので、「えーかっこいいことやっているじゃん!」って言うと思います。バスケって、ずっとボールを追いかけ続けて走っているので、本当にきつかったんです。でも、そこであきらめなかった努力や気持ちは、今のギターの練習を頑張るところにつながっているのかなと思います。
- ヒロ 自分の中では、わりと想定外というか、思いもしていなかったという感じです。親と話すと、「たぶん言うこと聞かないだろうな」というのは、わかっていたらしいのでわりと自由に(好きなことを)させてくれたと思いますね。
- 田中 13歳のころから「ドラムをやり続けていた」というのは変わらないところで、当時がむしろ音楽に対する熱量が一番高くて、それが今につながっている気がします。音楽好きの父親が、ライブへ連れて行ってくれたことがきっかけでドラムにハマってしまったから、あんまり止められなかったんだろうなと思ってます。
「青のミブロ」第2クールエンディングテーマを担当
- ― 新曲「フラグメント」が、「青のミブロ」第2クールエンディングテーマとなりました。楽曲に込めた思いを教えてください。
- 山口 タイトルのフラグメントには「断片」という意味があります。ミブロの人たちは皆、かなり個性派で、最終的に新選組はバラバラになっていくという事実がある。お互いの利益や追い求めるところはそれぞれ違ったけれど、ひとつの目標のためにチームとして動いていたというのが、どこかバンドにも通ずるところがありました。色々な側面がありますが、あくまでさまざまな状況にすぎない、という意味を込めてこの楽曲を製作しました。
めまぐるしい展開に注目してほしいです。全体としても3分の曲。決して長くはない中にも色々な展開があります。生楽器と打ち込み楽器のせめぎ合いだったり、リフレインするフレーズと疾走するビートのところだったり……色々なものが入り乱れてそれでも成立する曲の世界観が、osageのひとつの強みでもあるのでそこを一番聴いてほしいです。挑戦という意味では、初めてアニメ作品とご一緒させていただく部分が一番大きいと思います。 - 金廣 僕はアニメのタイアップは、夢のひとつでした。アニメを見てきたし、アニソンを聴いてきたので、そのアニメの世界観にガチッとハマる曲を作りたいなと、すごく気合いを入れていました。ギターの話になっちゃいますが、世界観にあった泥臭いけれどなにか刹那的なものを感じるようなギターの音を作って。それが作品を見ている人にも響けば良いなと思っています。
- ― 「青のミブロ」ファンに向けて、メッセージをお願いいたします。
- 山口 アニメをきっかけにosageを知ってくださる方が、たくさんいらっしゃると思っていて。日本全国、ましてや海外にもいらっしゃるのかなと思っています。その「はじめまして」の方に対して、この楽曲を聴いていただければosageはこういうバンドだな、というのが伝わる楽曲になっていると思います。シーズン2になって、この先におを含めミブロがどう成長を遂げていくのか、そこも見物だと思います。僕らも作品の1ファンとして一緒に盛り上がっていきたいと思っております!