アニメ・マンガに夢中になった中学時代
- ― どんな「13歳」でしたか?
- 竹内 あまり主体性がなくて、まわりから言われることに影響されて過ごした時期だったと思います。部活は剣道部でしたが、友達が入部するから僕も、みたいな。遊ぶときにも、みんなが集まっているところにひっそりと混ざっているような感じで。今思うと、結構暗いキャラクターで過ごしていたなと。母子家庭だったのもあって家族との触れ合いもなかなか無く、寂しがり屋で、その分、友達に傾倒していったのかなと思います。兵庫県にいて、阪神淡路大震災を小6で経験したというのもあって、友達の大切さというのも含めてそういう子になったのかなという印象です。
- ― 当時、夢中になっていたことや、ハマっていたものはありましたか?
- 竹内 アニメとマンガにめっちゃハマっていて、とくに少女マンガが大好きでした。たまたま「姫ちゃんのリボン」というぶっささる作品があって、恋愛マンガの甘酸っぱさに夢中になり、どんどん少女マンガにのめり込んで行きましたね。それを心配した母から「これ読みなさい」と渡されたのが「北斗の拳」でした(笑)。「北斗の拳」も面白くて、少年マンガも読むようになって、そこからアニメもたくさん見るようになりました。母は夜遅くまで仕事で、家に帰ればずっと一人でしたから、アニメやマンガの物語に没頭していました。アニメ・マンガオタクとして過ごしていた時代でしたね。
- ― エンタメの世界に踏み出したい、という思いはありましたか?
- 竹内 当時はまったくなかったです。アニメやマンガに触れられたら幸せだなとは思っていましたけど。実はそのときは、将来は幼稚園の先生になりたかったんです。ただ、明確な理由があったわけではなくて、たまたま図書室に「幼稚園の先生」についての本が目に入って読んでいるうちに面白そうだなと思いながら、でも「あぁ…ピアノ弾けないと駄目なのか…じゃあ厳しいか…。」とすぐ諦めていました。本当に漠然と中学時代を過ごしていました。声優や演劇といったお芝居のところは全然触れていなかったです。
- ― 芝居の世界との出会いはいつだったのでしょうか?
- 竹内 高校1年生の文化祭からですね。その時は弓道部だったんですけど、「助っ人でお芝居に出てよ」と友達にお願いされて、二つ返事で出る事にしたんです。そこで初めてお芝居の楽しさと面白さを実感しましたね。それからはお芝居や声優の事を調べるようになり、工業高校だったにも関わらず、将来は声優になりたいと思うようになっていました。
部活も熱心にやっていた感じがします。僕はチームプレーがあまり得意ではなく、タイマンが好きだと気がつきました。的を射る達成感は、役を演じきった時の感覚と通ずるものがありましたね。
- ― “今の自分”について、“13歳の頃の自分”はどんな風に思うと思いますか?もし当時のご自身へメッセージを送るとしたら?
- 竹内 絶対、驚いていると思います。まさか自分が好きな職業につけて、厳しい世界ではあるけれどまだ生き残っていられている、というのに素直に驚いていると思うし、喜ぶと思います。もしメッセージを送れるならば、もっと広く浅く色々なものを経験してほしいし、すれば良かったなと思います。自分の生まれた境遇のせいにしたくないんですけど、やっぱり「何かをしたい」という興味自体がそんなにわかなくて、アニメ・マンガに一辺倒でした。なので、色々な経験をして選択肢は増やしていてほしいなと。僕は、「やりたい!」というよりかは、「この道しかないな」と最終的になりました。色々な経験をしていると、たぶん就職できる道もあるだろうし、もっと違う職種でエンターテイナーになったかもしれない。色々なベクトルで考えることができるから、広い知見は持っていてほしいなと思いました。
