バスケ部、ボクシング、陸上部を経験 「無駄になることはなかった」
- ― どんな「13歳」でしたか?
- 小林 小学校の同級生がほとんど変わらずに同じ中学校に進んでいたというのもあって、仲良い子がいっぱいいました。ちょうど(携帯ゲーム機の)「プレイステーションポータブル(PSP)」が流行っていた時期だったので、休みの日はみんなでやって。僕自身、人見知りするタイプでもなかったので、他の小学校から来た子とも仲良くなって、結構楽しく過ごしていました。
- ― 部活はやっていましたか?
- 小林 小学生までミニバスをやっていたので、中学1年でバスケ部に入りました。小学生の頃は、上下関係は関係なく、自由に動いても許されていました。でも中学生では、“先輩をアシストしないといけない”とかあって。より連帯感や団結感を求められて、ちょっと窮屈な感じがありました。僕は斎藤はじめと同じくらい生意気だったので(笑い)、“先輩にも負けない”という負けん気で頑張っていたんですけど……やっぱりチームスポーツなので一人ではどうにもできなくて、バスケ部はやめちゃいました。団体競技が無理だから個人競技、ということで、中学2年のときにボクシングを始めました。でも結局、飽きてやめてしまって。中学3年では、陸上部に入りました。今もわりと飽き性ではありますが、当時は“生意気な飽き性”で全然可愛くなかったと思います(笑い)。でも、その性格を好意的に受け止めてもらえていたので、先輩たちとの関係は良好でした。
- ― 「飽き性」ということについて、ご自身ではどうとらえていましたか?
- 小林 ポジティブにとらえていました。色々なことに興味があって、色々なことをしたいなと思っていて。ひとつのことに向き合って突き詰めていく、という経験値のたまり方もあると思うんですけど、色々なことに興味を持って、色々なことに手を出して……というのもまたひとつの経験値のため方だと当時思っていました。自分の心の思うままに従いつつ行動して。親もそこに関してわりと寛容だったのでありがたかったです。
- ― “今の自分”について、“13歳の頃の自分”はどんな風に思うと思いますか?
- 小林 意外に思うかもしれないですね。13歳の頃は映画がすごく好きだったので、映画に携わる仕事についていたら「そうなんだ!」と納得できたと思います。まさか声の役者になっているとは思っていなかったと思うので、13歳の僕からしたらすごくびっくりすると思います。(声優業の仲間に)「声優をいつ頃目指したの?」と聞くと、「小学校の頃には興味があった」とか、「中学校の頃には養成所に行っていた」という人がいて。人によっては、夢や目標を見つけることは早いほうがいい、と言う人もいると思うんです。でも、僕はそこに辿り着くのがすごく遅かった。そういう意味では、今13歳の皆さんが、夢や目標がなかったり、「未来がわからない」という人がいたりしても、それは僕と一緒。僕は今、こういう特殊な仕事をさせていただきつつ、ごはんも食べられているので、あまりそこに関しては心配しなくてもいいんじゃないかと思います。
- ― 「声優」という職業が頭に浮かんだのは、いつ頃だったのでしょうか?
- 小林 中3くらいに漠然と声優という存在があって、アニメや吹き替えではそういう役者さんたちがお芝居しているとわかっていました。本当に自分がこの仕事にありつきたいと思ったのは、高2、高3ぐらいです。でも、声優だけじゃなくて、色々なことに興味がありました。結果的に、今この道にいるだけで、また別の未来の自分、というのはあったなと思います。
- ― 色々なことに挑戦されてきたことが、声優業で役に立ったと感じられることはありますか?
- 小林 結構ありますね。自分が興味ある事柄で関わった人たちから、「そういえばこういう喋り方の人いたな」とか、「こういう考え方の人と一緒に勉強していたな」とか、そういうことを思い出して、その上で自分なりに表現するきっかけになることが多いです。やっぱりゼロからアイディアを作り出したり、想像したりすることってすごく大変。自分の経験則や、人生で味わった経験を抽出して出すとリアリティーがあるし、説得力があるから“なんとなく”でやらずにすみます。無駄になったことはなかったと思います。
